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新仏教の発展

天台、真言などの旧仏教は朝廷、幕府の没落や荘園の崩壊によって次第に勢力を衰えさせ、これに対して鎌倉仏教の各宗派は武士、農民、商工業者などの信頼を得て、都市や農村に広まった。

禅宗五山派はその保護者であった幕府の衰退により衰えた。これに対し、より自由な活動を求めて地方布教を志した禅宗諸派は地方武士、民衆の支持を受けて各地に広がった。

東国を基盤にして発展した日蓮宗はやがて京都に進出し、特に6代将軍義教のころの日親の布教は戦闘的で他宗と激しい論戦を行ったため、しばしば迫害された。京都で財力を蓄えた商工業者には日蓮宗の信者が多く、彼らは1532年に法華一揆を結び一向一揆と対抗して町政を自治的に運営した。しかし、1536年に法華一揆延暦寺と衝突し焼打ちを受け、一時京都を追われた。(天文法華の乱)

浄土真宗(一向宗)は農民のほかにも、各地を移動して生活する商人や交通、手工業者などにも受け入れられて広まった。特に応仁の乱のころ、本願寺蓮如阿弥陀仏の救いを信じれば誰でも極楽往生ができることを平易な文章で説き、講を組織して惣村に広めた。蓮如を中心とする精力的な布教活動によって本願寺の勢力は北陸、東海、近畿地方に広まり、各地域ごとに強く結束し強大なものとなった。そのため、農村の支配を強めつつあった大名権力と門徒集団が衝突し各地で一向一揆が起こった。